更新日2025年06月30日
特別養護老人ホーム ケアポート板橋で働くエカさん

インドネシアで介護福祉士を育成する専門学校を作るという大きな夢に向かって邁進中

エカ・エリクソンさん
(EKA ERIKSON)
1986年生まれ 東ジャワ・チレボン市出身
社会福祉法人不二健育会 特別養護老人ホーム ケアポート板橋

EPA介護福祉士候補者として来日、国家試験に合格

エカさんはインドネシアの短期大学看護学科3年生の時に日本語学科の先生の推薦を受け、EPA介護福祉士候補者のプログラムを利用して来日することを決意した。

「インドネシアには介護施設がないので、我が家でも家族が祖父母の面倒を最後まで見て自宅で看取りました。私は祖父母が大好きでしたし、介護の仕事はお年寄りの身の回りのお世話だけでなく、会話などのコミュニケーションもとても大事だということを知って、大変興味深く感じました」

2008年に来日し、大阪府内で日本語と介護の研修を約半年間受けた後、第3希望まで提出した配属先の中から茨城県内の特別養護老人ホームにマッチングされた。1日8時間の勤務時間のうち、2時間は介護の専門用語や漢字などの勉強会で宿題も毎日あった。そうして3年間の実務経験を満たした2012年に介護福祉士の国家試験を受験。この時は2点足りずに惜しくも不合格だったが、翌年に再チャレンジして見事に合格を果たした。

「施設からはこのままずっと働いてくださいと言われましたが、当時はまだ20代で若いうちにいろいろなことに挑戦したいという気持ちがあったので、一旦インドネシアに帰ることにしました」

インドネシアに一時帰国後、日本語を生かして活躍

2015年10月に帰国して最初に始めたのがジャカルタ市内にある日系企業での通訳の仕事で、フリーランスで2年ほど働いた。次は保険会社に勤務し、日本人の旅行者を担当。インドネシアへの滞在中に病気やケガ、事故などが発生した際に直ちに同行し、保険料の請求などの対応を行った。トラブルは時間を問わないため、24時間常に待機しているような状態で相当ハードな仕事だったという。

「いろんなケースに立ち合いましたが、一番忘れられないのが夜中の2時に電話がきて、流産されたお客様を病院にお連れして朝方まで付き添ったことです。年俸はよかったけれど、さすがに心身ともにきつくなって1年半で退職しました」

その後は、インドネシアから日本への送り出し機関に転職。技能実習生の担当責任者として1年ほど勤めた後、再び日本で働くことを決めた。

「私には、インドネシアに介護の専門学校を作るという大きい目標があります。その学校では日本語と介護を教えて、たくさんの介護福祉士を育成したい。そのためにさまざまな経験を積んできたけれど、介護学校の運営などに必要な知識はまだまだ浅かったので、もう一回、日本で多くのことを学びたいと思いました」

念願の東京都内の施設で介護職歴11年目

2020年12月に再来日したエカさんは、新たな職場として群馬県の有料老人ホームを選んだ。以前の“特養”とは違うタイプの介護施設を経験したいと思ったからだ。

「入所料が高額なこともあって、利用者さんはサービス面での要望も非常に細かかった。できるだけ丁寧な言葉遣いを心がけていましたし、とてもよい勉強になりました」

現在のケアポート板橋には、1度目の来日時にお世話になった国際厚生事業団(JICWELS)の担当者に紹介されて2022年9月から勤務している。

「念願だった東京で働けるようになってうれしいです。やっぱり日本=東京というイメージだったし、観光スポットもおいしいものもいっぱいある。私は賑やかな場所が好きなので、新宿や渋谷によく出かけます」

日本で3ヵ所の施設を経験し、介護職歴は11年目を迎えるエカさん。日本語の会話はほぼパーフェクトで、漢字も8割くらいはわかるそうだ。

「今は現場で何が起きても困ることはないですね。慌てず冷静に考えて利用者さんに対応すれば大丈夫です。スタッフの皆さんにも優しくしてもらって、すごくいい雰囲気で楽しく仕事をさせていただいています」

最後に、介護福祉士の資格取得を目指す方々へ試験勉強のアドバイスを。

「EPAの場合は勤務時間内に国家試験のための勉強時間が設けられ、JICWELから教材も支給されるので、それをしっかりこなすこと。特定技能や技能実習生の方々は独学が多いと思いますが、教材選びに悩んだ時は教えてもらうとよいでしょう。介護の専門用語は特に難しいので、少しずつ覚えるようにしないとなかなか頭に入ってきません。目標を立てて、自分のペースで勉強するのが効率的だと思います」

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