更新日2025年06月30日
特別養護老人ホーム ケアポート板橋で働くメイダさん

日本の介護に長くかかわった経験を生かしながらインドネシアの母として後輩を温かく見守る

メイダ・ハンダジャニさん
(MEIDA HANDAJANI)
1981年生まれ 中部ジャワ・サラティガ市出身
社会福祉法人不二健育会 特別養護老人ホーム ケアポート板橋

日本のドラマ『おしん』に影響を受けて来日

 幼い頃から看護師になりたいという夢を持っていたメイダさんは、地元の高校を卒業後、スマラン市にある看護の専門学校に進学。そこで行われていた「看護の勉強をしているインドネシア人が日本の介護施設で働けるか」という研究に参加し、2006年に留学生として初めて日本を訪れた。

「昔から『おしん』や『僕だけのマドンナ』などのドラマを観ていたので、日本の文化や景色には憧れがありました。ドラマに出てくる雪や桜がきれいで、一度見てみたいと思っていたのです」

 留学前にホームヘルパー1級・2級を取得した彼女は、東京の日本語学校に2年間通いながら、神奈川県川崎市にある介護施設でアルバイトとして働いた。日本語を覚え始めたばかりのメイダさんにとって、利用者の話す言葉はスピードが速すぎて聞き取りづらかったが、相手にゆっくり話してもらったり紙に書いてもらったりしているうちに、だんだんと内容がわかるようになっていった。

日本語能力の高さを認められてEPAプログラムに参加

 日本語学校を卒業した後は、インドネシアの病院で看護師として働くために就職活動を開始した。しかし、履歴書を見た人事担当者から「日本語スキルが高いのにもったいない。EPA介護福祉士候補生(以下、EPA)のプログラムに参加するべきだ」と勧められ、ジャカルタで行われていた日本の介護施設とのマッチングに参加することに。東京都板橋区にある特別養護老人ホーム「ケアポート板橋」と希望が一致し、EPAの第一期生として2008年に入社した。

 EPAは通常、日本語と介護の研修を半年ほど受けてから実務に入るが、留学生の時にJLPT(日本語能力試験)のN2を取得していたメイダさんは日本語の勉強をパスし、2週間ほど導入研修を受けたあとに働き始めた。

介護施設でのアルバイト経験はあったものの、新しい環境に慣れるまでには時間がかかったという。当時はまだ日本の介護施設で働く外国人が少なかったこともあり、厳しい目を向けられることもあった。

 「急にまくし立てられたり、強い言葉で叱られたりして、困惑することもありました。最初は少しショックでしたが、その人を観察していたら私以外にも同じ態度を取っていたので、この人はこういう性格なんだと理解して気持ちが楽になりました」

 現場での仕事をこなしながら介護福祉士の資格取得に向けた勉強も進め、2012年に介護福祉士の試験を受けて合格。インドネシア人の夫と暮らすため同年8月に一度帰国したが、2017年9月からケアポート板橋で再び働いている。

日本人と外国人の架け橋役としても活躍

 メイダさんは介護福祉士としてはもちろん、外国人スタッフの頼れる先輩としても施設に欠かせない存在となっている。日本人スタッフの指示がうまく伝わらない時は、スタッフ同士の間に入って解決に導いていく。

「言葉がわからない、文章が長くて理解するのが難しい、単純に聞き取れないなど、指示が伝わらない原因はいろいろあります。そんな時は、日本人スタッフに指示した内容を聞いてから外国人スタッフが理解した内容を改めて確認し、どの部分がわからなかったかを一緒に考えます。そのほかにも、休みを取りたいけれど言い出しづらい時などにも相談に乗っています」

プライベートでも、日本に来たばかりで住む場所が見つからないスタッフを家に泊めたり、食事に困っているスタッフを週に一度自宅に招いて夕飯をともにしたりと、まさに母のような目線で新人たちを見守っている。優しくて頼れる同郷の先輩がいることは、後輩たちにも大きな励みになっているようだ。

 そんなメイダさんから、今後日本で働きたいと考えているインドネシアの後輩たちに向けて一言。

「私たちが勉強する日本語は『です・ます』調の敬語が中心ですが、日本で普段から使われているのは『いかんよ』『あざます』といったもっと砕けた言葉です。日本のドラマやアニメではこうした日常会話が学べるので、興味のあるものを見て楽しく勉強してほしいなと思います」

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