更新日2025年05月07日
上溝介護老人保健施設いずみで働くファーリさん

介護福祉士の資格を取得後に、インドネシアから妻子を呼んで家族と一緒に日本に永住するのが夢

ファーリ・ヘリヤントさん
(FAHRI HERIYANTO)
1991年生まれ 中部ジャワ・スマラン市出身

看護師、建設業、農場経営などさまざまな仕事を経験

インドネシアの健康科学大学の学生だった頃から、将来は日本で働くことを希望していたというファーリさん。大学卒業後は看護師として病院に勤務しながら、夜は日本語学校に通う生活を1年間送った。

最初の来日は2015年6月。東京都内にある建設会社に採用され、技能実習生として左官工事業務に従事し、溶接作業の免許を取得した。

「一度目の来日の目的は実践的な日本語を身につけることだったので、業種にはこだわりませんでした。インドネシア人の同僚も2人いましたが、現場はバラバラだったこともあって、3年間で日本語はかなり上達しましたね」

技能実習期間を終え、「また日本に来るぞ」との決意も新たに帰国すると、新型コロナが蔓延。いつ日本へ行けるようになるのか、全く先が見えない状況になったため、ファーリさんは自分で起業。約5,000羽のブロイラーを飼育する農場を経営したが、3年ほどで行き詰まってしまった。

また看護師に戻ろうかと考えていた時、日本語学校の知り合いから「上溝介護老人保健施設いずみ」の求人情報を紹介され、オンラインで面接を受けて合格。2023年7月に二度目の来日を果たした。

自分の祖母と同じように入所者と接する

介護職に就いてまもなく丸2年、日本での生活は丸5年を迎えるファーリさん。日本語が非常に流暢で、入所者や職員ともしっかりコミュニケーションを取ることができている。

「はじめのうちはすごく緊張していました。上手にお世話ができなくて、入所者さんに怒られたらどうしよう、怖いなとか。今はだいぶ慣れて、皆さんに優しくしてもらっています。私は、自分の祖母を大切に思うのと同じように入所者さんたちに接しているんですよ」

大学時代にお母さんが亡くなった後、一緒に暮らしていた祖母には今も仕送りを続けているという。

ファーリさんが担当しているのは、在宅復帰や自立支援を目指す人たちのフロア。トイレの誘導やオムツ交換などの身の回りのお世話のほか、レクリエーションでは入所者と一緒にたくさん笑ったり、おしゃべりをしたり、楽しい時間を過ごしてもらえるように心がけている。

「建設業の時は屋外で働いていたから、夏の暑さと冬の寒さがすごく厳しくて大変でした。それと比べたら今の環境は本当に恵まれています。先輩たちにもとてもよくしていただいているので、ここでずっと働けたらいいなと思います」

半年間で日本語能力試験のN3、N2に続けて合格

ファーリさんの夢は、インドネシアにいる妻と小学3年生の長女、2歳の次女を呼び寄せて日本に永住すること。そのために、介護福祉士の資格取得に挑戦しようと考えている。もちろん家族もその時を心待ちにしているという。

「上の娘は日本が大好きで、『パパと一緒に日本に住みたい!』と言っています。日本語も私が教えていたので、ひらがなとかちょっとはわかるんですよ。今年の年末に初めて日本に遊びに来る予定になっていて、その時は東京ディズニーランドに連れて行きたいと思っています」

現在ファーリさんは、登録支援機関に紹介された東京都内にある学校のオンライン授業を1ヵ月に5回ほど受けていて、毎月1回は通学もしている。その努力が実り、2024年6月に日本語能力試験(JLPT)のN3、12月にはN2に見事合格した。

「仕事で疲れた日などに一人で勉強するのはけっこう難しいので、学校の授業にはとても助けられています。やっぱり家族と離れているのは寂しいですよ。早く家族と日本で暮らしたいから、絶対に介護福祉士の資格を取る。そのことだけを考えて、仕事も勉強も頑張っています」

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