更新日2025年04月30日
特別養護老人ホーム はなみずきで働くラデアさん

もともと人と話すのが好きなので利用者との会話が仕事になる介護職は自分にとってまさに天職

ラデアさん
(RADEA)
1993年生まれ 西ジャワ・カラワン市出身

日本人の友人がきっかけで来日を決意

「昔から日本人と話すのが好きでした」と言うラデアさん。2022年から埼玉県の特別養護老人ホーム・はなみずきで働いている。

工業地帯のカラワンで生まれ育った彼は、高校卒業後に日本の自動車会社が所有する工場で働き始めた。この会社にはインドネシアに出向する日本人もいたので、一緒に遊びに行くことも多かった。しかし、その友人が日本に戻ることを知り「自分も日本に行きたい」と思うようになった。

会社のマネージャーに相談したところ、「工場を辞めて日本語学校で勉強すれば就業ビザを取れる」と勧められ、インドネシアにある日本語学校に入学。23歳で技能実習生として日本を訪れ、群馬県太田市にある自動車の組み立て工場で3年間勤務した。

「その工場でも新しい友人ができて、一緒に遊びに行ったり家に泊めてもらったりしました。彼の家族もとてもフレンドリーで『自分の息子のようだ』と言われたこともあり、うれしかったです」

技能実習期間を終えた後も日本で働きたいと考えていたが、当時は新型コロナが蔓延していて渡航が難しい時期。少しでも早く日本に戻れる方法を探していたところ、人手不足が激しく採用される可能性が大きい介護業界に行き着いた。

最初は数年で介護職から離れるつもりだった

ラデアさんは当初、数年経験を積んで業種を切り替えられるようになったら、前の仕事である製造業のビザに切り替える予定だった。しかし、3年ほど働いているうちに考えが変わった。

「製造業はモノが相手の仕事ですが、介護はヒトが相手。モノであれば多少適当に扱っても問題ありませんが、利用者さんは同じ人間なので、一人ひとりの気持ちを考えて真摯に向き合わなければなりません。最初は大変でしたが、元々日本人とお話しをするのが好きだったので、だんだんやりがいを感じてきました。仕事をしながら利用者さんとおしゃべりができますし、僕にとっては日本語の勉強にもなるので、自分に合っていると思います」

利用者と話す内容はさまざまで、何気ない日常の会話だけでなく、日本とインドネシアの違いを教え合うこともある。ラデアさんは時々冗談を交えながら、利用者を驚かせたり笑わせたりしている。

同じユニットの先輩との仲も良好で、お勧めのスマホゲームの話題で盛り上がったり、カラオケに行って「栄光の架け橋」や「3月9日」などのJ-POPを歌ったりすることもあるそうだ。

日本は便利な国だからこそルールをしっかり守って

休日になると『Hallo Talk』というアプリでさまざまな国の人たちとグループチャットを楽しんでいる。趣味のゲームつながりで日本人の友人ができることもあり、ボイスチャットをしながら遊ぶこともあるそうだ。

日本の生活にもすっかりなじんで、家では野菜炒めやみそ汁、カレーを作ることも多い。最近は刺身にワサビを付けないと物足りなく感じるなど、味覚も日本に慣れ親しんできている。

そんなラデアさんの目標は、介護福祉士の資格を取って日本で長く働き続けること。また、インドネシアに住む母親と弟を旅行に呼び、桜や雪を見せたいとも言う。

「日本は行きたいところに行けるし、必要なものも気軽に買えるので暮らしやすいです。インドネシアと比べるとルールは厳しいかもしれませんが、危険な目に遭うことはありません。しかし、だからと言って調子に乗ると他の人の迷惑になってしまうので、そうならないように気を付けています。インドネシアのことわざにある“Di mana bumi dipijak di situ langit dijunjung(郷に入っては郷に従え)”の精神を忘れずにいれば、これから日本に来るインドネシアの人たちもすぐになじめると思います」

その他のインドネシア人材