【WEBデザイナー・クリエイター】ディマス マヘスワラ
1997年8月30日 インドネシア・ブカシ出身
キャリアを積み上げるたびに仕事のやりがいも変わってゆく
2020年3月に、ジャカルタにある大空出版の駐在員事務所でWebデザイナーとして現地採用されて以来、デザインチームの一員としてHondaのHPの制作やSNS用の動画編集のほか、リクルートのLPページのデザインなどを日々手掛けている。
「以前はデザインそのものに興味がありましたが、今はコーディングにやりがいを感じています」
入社から3年が経ち、仕事に対する考え方が変わってきた。デザインはあくまでも0から絵を描くイメージだが、コーディングはできあがったデザインに機能を埋め込んでいく。つまり、実際に使用するページに命を吹き込む作業だ。その工程にやりがいを感じ始めている。
インターンシップでのデザインが高く評価され現地採用に
高校生の頃はただ漠然と、将来はIT業界に進みたいと思っていた。ところが、日本の映画やカルチャーが好きだった兄がダルマプルサダ大学の日本語学科に進み、さらには関西国際大学へ1年間留学した。それを見ていて、ゆくゆくは自分も日本のIT会社に勤めたいと思うようになった。そのためには日本語を学ばなければならない。そう思って、兄と同じダルマプルサダ大学の日本語学科に進学した。
2019年、大学4年生の時に、たまたまジャカルタにある大空出版の駐在員事務所で行われているWebデザイナー養成のインターンシップの説明会に出席して、日系企業だし、将来のITの仕事に結びつくかもしれないと思い、インターンシップに参加したいと申し出た。
大学では生徒会やよさこいソーラン部に所属していたが、そこでイベントのバナーデザインを担当したこともあり、その経験があったのでWebデザインの技術をすんなり身に着けることができた。おかげで2カ月という短い期間だったが、ディマスのデザインは高く評価され、後にジャカルタの大空出版の駐在員事務所で採用された。
東京転勤でON、OFFの使い分けができるようになった
新型コロナの感染拡大の影響で、ジャカルタで現地採用されたWebデザイナーたちの東京事務所への転勤はしばらくストップしていたが、2022年8月末日、念願だったディマスの東京事務所への転勤が叶った。初めての一人暮らし。今まで自宅ではまったくしたことがない料理も作るようになった。またジャカルタではバイク通勤だったが、東京では電車通勤に。便利ではあるが、最初は車内の人の多さに驚いた。
根っからのゲーム好きなので日本で毎年行われている東京ゲームショウなどへ行ったり、新宿に買い物に出かけたり、インドネシア料理を食べに秋葉原へ行ったり。休みの日には東京での生活を満喫している。さらには高尾山に登山に行って、ハイキングの楽しさも知った。
「駅を降りてから登山口までがとても近くて便利です。山頂へ行くまでにお茶屋さんもあれば土産物屋さんも、お寺や神社もあって、見るべきところがたくさんあります。仕事の疲れがとれて気分転換になります」
転勤したおかげで仕事のON、OFFの使い分けが上手くなった。
おそらく東京での勤務はあと2年くらいになるだろう。
「ジャカルタへ戻った時には、1つのプロジェクトのマネージメントができるようになりたい。そのためにも2年間、仕事を積み上げていければと思います」