更新日2025年10月06日
「すぎのこ」で働くコマンさん

羽田空港内の繁忙店で調理や盛り付けを担当し、憧れの日本料理の繊細な技術を学ぶ

イ コマン トリアディ メルタ ヤサさん
(I KOMANG TRIADI MERTA YASA)
1996年生まれ バリ島出身
美しく繊細な日本料理に魅せられ、外食の道へ

 大学生の頃、日本のアニメに影響されて日本の文化や料理に興味をもったコマンさん。大学在学中に日本語能力試験(JLPT)N2を取得し、卒業後はインドネシアの日本語学校で、日本の大学への進学を目指すN4~N3レベルの学生に日本語を教える仕事に就いた。

「日本で働くことは、今後の自分のキャリアにとって必要な経験になる」と考えた彼は、外食の特定技能ビザを取得し、2023年12月、複数の飲食店を経営する株式会社エムアンドオペレーションに入社。羽田空港にある和風居酒屋の「すぎのこ」に配属され、現在まで勤務している。

「もともと料理が好きで、食事を通して人を喜ばせることにやりがいを感じていました。昔からよく母の料理の手伝いをしていましたし、バリで飲食店を経営している叔父の店でも時々手伝いをしていました。日本料理は盛り付けが美しく繊細で、ぜひ挑戦してみたいと思いました」

料理長から天ぷらの調理技術を評価されるまでに成長

 コマンさんが働く「すぎのこ」は24時間営業の店舗で、羽田空港内という立地から、年末年始やお盆などの繁忙期には多くの客でにぎわう。そこで料理の仕込みや盛り付けといった調理業務のほか、食材の発注、食事の提供なども担当している。今では店にとって欠かせない存在となっているコマンさんだが、入社当初は多くの苦労があったという。

日本語のコミュニケーション面では、「料理が出来上がったら提供する」という意味の「でき次第」など、それまで学習していなかった表現に戸惑うことも多かった。また、忙しい店舗であるがゆえに、提供スピードと盛り付けの丁寧さを両立する点にも苦労した。

時には、提供する料理を間違えるといった失敗もあったが、コマンさんは「ミスを繰り返さないためにはどうすればよいか」を常に考え、メモにまとめて覚えるようにした。そうした努力の積み重ねもあり、配属から1年が経つ頃には、すべての業務がこなせるまでに成長した。

「最初は本当に大変でしたが、続けていくうちに少しずつ仕事に慣れていきました。今最も得意なのは、天ぷらの調理と刺身の盛り付けです。特にエビの天ぷらは、花を咲かせるようにサクサクの衣をまとわせる“花揚げ”が得意で、料理長にもほめてもらったことがあります」

夢はインドネシアで日本料理店を開くこと

勤務は、日勤(12時~23時)と深夜勤務(23時~10時)の2交代制で、コマンさんは主に日勤を担当している。朝は8時30分に起床し、ヨガやトレーニング、日本語の勉強などを行ったあと、11時10分に家を出て電車で職場に向かう。23時30分頃に帰宅するため、就寝時間が日をまたぐこともしばしばある。

休日にはインドネシア人の恋人と過ごすことが多く、時には渋谷のハチ公広場や上野公園といった都内の有名観光地を訪れるなどして楽しんでいる。

「東京は電車が時間通りに来ますし、街もとてもきれいで感動しました。日本の皆さんは“おもてなし”の心があり、本当に優しい方ばかりです。以前病院を受診した際、スタッフの方が床に正座するような姿勢で接してくれたことが忘れられません。なぜそこまでしてくれるのかと、驚きと感謝の気持ちでいっぱいでした」

2025年12月で特定技能2年目を迎えるコマンさんは、残りの期間でさらに料理の腕を磨いたあと、インドネシアで日本料理店を開くという夢を持っている。伝統的な和食だけでなく、インドネシア料理と融合させた新しいスタイルの料理を提供したいと考えており、バリにも店舗を展開するエムアンドオペレーション代表取締役・桜井寛氏や、日本の友人たちと一緒に店を立ち上げたいという構想もある。その夢の実現に向け、現在は日本語能力試験N1の取得に向けても学習を継続している。

最後に、日本で働くことを目指す人々へのメッセージを語ってくれた。

「日本で働くのは決して簡単ではありません。ですが、学べることが多く、自分の成長につながるチャンスがたくさんあります。最初は本当に大変ですが、努力を続けていれば、必ずいい経験になります。夢を諦めずに挑戦してほしいです。私自身、日本で働く中で心が強くなりました。毎日積み重ねることが、大きな力になると思います」

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