インドネシアと日本で自分の焼肉店を開くという夢に向かい、サブリーダー的存在として活躍

日本で働く夢を叶えるため、高校卒業後から努力を重ねる
高校生の頃から「日本で働きたい」という夢を抱いていたデニさんは、高校卒業後、大手自動車メーカーの部品工場に勤務。製造ラインの操作・監視を担うオペレーターとして働き始めた。
「工場では日本語ができなければオペレーター以上の役職に就くのが難しく、昇進にも時間がかかります。もっと高い時給で働きたかったし、日本で働く夢を叶えたかったので、2年間で資金を貯めて日本語学科がある大学に進学しました」

進学後は平日に工場勤務を続けながら、土日は8時から16時まで大学で学ぶ日々を送った。その努力が認められ、職場ではリーダーへと昇進。さらに日本の文化をより深く学ぶため、2018年に大阪の日本語学校に入学した。
日本語学校を卒業したあとも日本での就労を希望していたが、卒業年である2020年はコロナ禍の最中。やむなくインドネシアへ帰国し、以前勤務していた工場に復帰した。その後は友人と携帯ショップを運営していたが、「このままでは夢から遠ざかってしまう」と思い、店を閉めて外食の特定技能ビザを取得。再び日本に訪れるチャンスをつかみ取った。
肉の部位や調理法にこだわる日本の焼肉に魅了

デニさんには日本で働くことのほかに、もう一つの大きな夢があった。それは、自分の焼肉店を持つことだ。
「両親がインドネシアで飲食店を営んでおり、私もその手伝いをしていました。お客さんが心からお礼を言ってくれることにやりがいを感じ、料理が好きになりました。中でも焼肉に興味を持った理由は、日本の焼肉店が肉の部位やタレにこだわっていて、非常に奥深いと感じたからです。インドネシアではあまり部位に対するこだわりがありませんが、日本ではタンやモモ、ハラミといった部位ごとに味付けや焼き方が違っていて、本当に魅力的だと思いました」

この夢を実現するため、2022年10月に“肉のヒマラヤ”で知られる焼肉店「焚火家 渋谷店」を運営する株式会社nomunoに入社。最初は、関連会社の株式会社エムアンドオペレーションが運営する羽田空港の和食居酒屋「すぎのこ」に配属され、日本の飲食店で働く基礎を学んだ。
その後、「やはり焼肉店で働きたい」という自身の強い希望を伝え、2025年から「焚火家 渋谷店」に配属。現在は店舗のサブリーダー的存在として、調理や接客に加え、発注、シフト調整、アルバイト指導といったマネジメント業務にも携わっている。

デニさんがマネジメントで特に重視しているのは、「スタッフ一丸となって店を守る」という姿勢だ。社員だけでなくアルバイトに対しても、単なる労働力ではなく、一人ひとりがスキルアップできるよう段階的な指導を行なっている。
「この店舗にはもともと日本人スタッフしかいなかったので、最初は自分がうまく溶け込めるか不安でした。今ではチームとしてお互いにフォローしながら、毎日充実した日々を過ごしています。この会社では新しいことにも挑戦させてもらえるので、本当に勉強になります」
インドネシアと日本の両国で自分の焼肉店を開きたい
現在は特定技能1号として日本で働くデニさんだが、「もっと長く日本にいたい」という思いから、2号の取得を目指して勉強を続けている。株式会社nomunoでは、取締役の桜井寛氏が過去の試験問題や自身の経験をもとに作成したマンスリーテストを外国人スタッフに提供していて、デニさんも休日を活用して学習に励む。
夢を原動力に日々努力を重ねるデニさんは、最後にこう語ってくれた。
「将来は桜井さんのように、日本とインドネシアの両方で店を開きたい。大変なこともありますが、夢があるから前に進めます。日本で働くことを目標にしているインドネシアの人たちには、日本のどんなところに惹かれたのか、なぜ日本で働きたいのかを具体的に考えれば、自分の目指す道が見えてくるはずだと伝えたいです」
