留学生も参加できる、日本大学の人力飛行機プロジェクト
2023.07.03 up

留学生も参加できる、日本大学の人力飛行機プロジェクト

1万を超える島からなるインドネシアでは、移動手段として飛行機の存在は欠かせません。
国営のガルーダインドネシア航空やインドネシアン・エアロスペースは、インドネシア国内でも人気の企業です。

インドネシアでも日本でも、空を飛びたいという憧れを持つのはみんな同じです。

人気ジブリ映画『魔女の宅急便』では、プロペラが付いた自転車で空を飛ぼうとした少年・トンボの挑戦が描かれていましたね。そのシーンを覚えているファンは多いのではないでしょうか。

© 1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

人力飛行機を制作して、自分たちの力で空を飛ぶことにチャレンジしている大学は日本に多く存在していますが、その中でも、60年の歴史と実績を持つ大学が日本大学 理工学部 航空宇宙工学科の取り組みの一つである「人力飛行機プロジェクト」です。

留学生の参加も大歓迎のプロジェクトなので、インドネシアの若者たちもぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

日本初の人力飛行に挑戦

人力飛行機プロジェクトは、当時の日本大学教授・木村秀政が始めました。
航空機の設計や研究をしていた木村教授は、1961年にイギリスで初めて人力飛行が成功したというニュースを聞き、すぐに学生と人力飛行機開発を計画しました。

人力飛行機の解説をする木村秀政教授(提供:日本大学理工学部)

当時、実際に飛行機の設計や飛行試験を学生に体験させることは難しいうえ、学問の追求を第一と考える大学には、「ものづくり」はふさわしくないという考えがありました。しかし、木村教授は「ものづくり」こそ重要であると説き、1963年に学生への卒業研究テーマとして本格的に人力飛行機開発を開始しました。

そして、1966年。学生たちと共に3年がかりで制作した人力飛行機「リネット号」は、日本初の人力飛行に成功しました。

日本最初の人力飛行に成功した「リネット号」(提供:日本大学理工学部)

大記録への挑戦

1966年の初飛行以降も続いた日本大学の人力飛行機開発は、後に航空宇宙工学科の支援の下、学生サークル「航空研究会」の活動へ受け継がれていき、活躍の場も「鳥人間コンテスト」へと移りました。

鳥人間コンテストは、1977年から毎年7月に開催される自作の飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会であり、その様子はテレビで放送されるほど人気を集めています。
日本大学は、4回大会(1980年)で初優勝を飾ってからは、累計33回の出場10回の優勝(人力飛行機部門:8回、滑空部門:2回)を経験し、いずれも大会の最多記録となっています。また、第42回大会(2019年)では、飛行距離38 km の学生記録も打ち立て、その記録は今なお破られていません。

鳥人間コンテスト等で数々の記録を打ち立てたMöwe(メーヴェ)シリーズ(提供:日本大学理工学部)

さらに、活動は鳥人間コンテストの枠に収まらず、国際航空連盟(FAI)公認の記録飛行にも挑戦。2005年に直線飛行の日本公式記録(49.2 km)を樹立し、2014年には、失敗こそしましたが、周回飛行の世界記録にも挑戦しました。
こうした長い歴史と実績から、人力飛行機と言えば日本大学と言う人も少なくありません。

1966年の初飛行から50年をお祝いする歴代の学生たちのサインボード
写真の男性は木村秀政教授(提供:日本大学理工学部)

技術や思いを、次の世代に

しかし、2020年に起きた新型コロナウイルスの大流行で人力飛行機プロジェクトの状況が大きく変わりました。鳥人間コンテストも、学生による人力飛行機制作も中止となり、学生から学生へ代々伝えられてきた人力飛行機の設計・製造技術が失われそうになっていました。

この危機的状況の中、長い歴史を絶やさないために、そして、自分で作った飛行機が空を飛ぶ興奮を味わえるようにと、これまでの卒業生たちが全面的な支援を開始しました。同時に、卒業生たちが学生の時にクリアできなかった課題や、現役の学生が挑戦したい課題に対しても、現役の学生、卒業生、航空宇宙工学科が一体となって取り組み始めています。

「1年生の時は、通学も制限されていた状態でした。そのまま新型コロナウイルスの感染拡大が続き、2年生の終盤までは、航空研究会の活動もほとんど制限されていました」

そう語るのは、今年のチームパイロットである大学4年生の侭田勇哉(ままだ・ゆうや)さん。
人力飛行機のパイロットは、動力源と操縦手を一手に引き受ける重要なポジションです。

今年のパイロットとして人力飛行機に乗る侭田勇哉さん

憧れていた航空研究会の活動がしばらくできなかった侭田さん。それでも、パイロットを強く志望していた彼は、学校や研究会の活動ができない中でも自主的にトレーニングを重ね、見事パイロットに選ばれました。

1年生の時は、勉強の合間にパイロットになるための自主トレーニングに励んでいたという

しかし、飛行機の制作は大きく遅れた状態でした。
本来の航空研究会では、入部後に先輩から教えられながら飛行機制作の技術や知識を蓄え、3年生の夏からその経験をもとに自分たちの飛行機の制作に取りかかりますが、今年はその経験が不十分な状態でスタートしました。侭田さん含め、同級生は制作技術の勉強と飛行機制作を両立しなければなりませんでした。

「友人と一緒に飛行機を制作しながら、パイロットの自分はトレーニングも行います。とても大変な状況ですが、先輩や卒業生の方々が工房に来てくれてサポートをしてくれています。卒業生の中には、40代から50代といった経験豊富な方も来ていただいて、わからないことがあると相談にも乗ってくれます。航空研究会の歴史の長さを実感しました」

侭田さんが座る操縦席。ここに装着されたペダルを漕いでプロペラを回す。

そして、4年生の侭田さんは後輩へ技術の伝承もしなければなりません。
自分が乗る飛行機の制作を通して、その技術を後輩たちに伝え、次の世代も空に飛べるようにしています。

後輩と一緒に主翼のチェックをする侭田さん
主翼の制作を手伝う侭田さんの後輩たち

ここでしか体験できない、航空研究会の魅力

侭田さんは、航空研究会での飛行機制作には、日本にしかない魅力があると語ってくれました。

「航空研究会では、飛行機制作はすべて学生たちで行います。どんな飛行機を作りたいかのコンセプトを決め、実際に設計し、図面を作り、部品を組み立てます。様々な段階で試験が必要になるのですが、それも自分たちで行います。日本は「ものづくりの国」とよく言われますが、ものづくりに必要な工程のすべてを、飛行機制作を通じて経験することができます。そして、その成果を鳥人間コンテストで多くの人に披露する。こんなことができるのは日本の大学ならではだと思います」

空気抵抗を小さくするために、主翼の表面を滑らかにする作業
操縦席でのハンドル操作を翼に伝えるための配線作業

航空研究会の経験は、大学を卒業した後も活かされています。

「航空研究会の飛行機制作で学ぶ技術は、実際に航空会社でも役に立つものばかりです。航空会社で整備士や設計者として働く卒業生も大勢いますし、パイロットとして活躍している先輩もいます。僕はゼネコン業界に就職予定ですが、そこでもここで身に着けた技術やものづくり精神は必ず役に立つと思っています」

今年の7月29日には、第45回鳥人間コンテストが開催されます。もちろん、侭田さんのチームも参加予定です。
目標は、先輩たちが打ち立てた学生記録の38 kmを超えた40 kmを突破することです。

「航空研究会は、外国人留学生の参加も大歓迎です。僕たちと一緒に飛行機を作ってくれる仲間を待っています!」

今年で60年を迎える日本大学の人力飛行機プロジェクト。
あなたも一緒に空を目指してみませんか?

昨年の鳥人間コンテストに出場した航空研究会の紹介動画(引用元:鳥人間コンテスト公式チャンネル

▼日本大学
https://www.nihon-u.ac.jp/

▼日本大学 理工学部
https://www.cst.nihon-u.ac.jp/

▼日本大学 理工学部 航空宇宙工学科
https://aero.cst.nihon-u.ac.jp/

▼人力飛行機プロジェクト
https://aero.cst.nihon-u.ac.jp/students/project/airplane.html

日本大学理工学部 航空研究会HP
https://www.nasgmowe.net/