4月19日は「地図の日」、日本地図に数十年を費やした伊能忠敬
4月19日は、日本で「地図の日」として知られています。この日は、江戸時代に日本地図を作成した初めての人物である「伊能忠敬の旅立ちの日」とも呼ばれています。
伊能忠敬は1745年に生まれた日本の探検家・地図製作者です。49歳の時に引退し、事業を息子に譲った彼は、江戸(東京)に引っ越しことを決めました。そこで、彼は天文学を学び、高橋良時という有名な天文学者の弟子になりました。高橋は、徳川幕府によって日本の暦を修正する任務を与えられた人物です。1800年には、55歳だった伊能は、政府からの許可を得て、蝦夷地(北海道)で測量を始めました。当時、蝦夷地はアイヌ民族が多く住む未開拓の森林地帯でした。
伊能の測量の結果は、幕府から称賛を受け、彼は日本の沿岸部の測量をするように命じられました。伊能忠敬と彼の組は、17年間で、日本の各地を測量し、本州、四国、九州、そして佐渡島、屋久島、種子島、壱岐、対馬など、離島も含めて地図を作成しました。
しかし、残念なことに、伊能忠敬は全国の地図を完遂することができませんでした。1818年に73歳で亡くなりました。その後、地図製作は彼の組に引き継がれ、1821年に完成されました。この科学的な手法で手描きされた地図は、正確であり、近代的な明治政府の地図製作の基準となりました。